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【第7回六華ゼミ開催報告】

第7回目は、南46期 北海道新聞ワシントン支局長 廣田 孝明 氏、design studio MOVEHEARTS代表 川島 健吾 氏の両名を講師に迎え、11月5日(金)に開催されました! 

 

前半の廣田氏はワシントンからZOOM中継でした。テーマは「現場主義-高校野球からホワイトハウスまで」。

 

現在、ワシントンDCにあるメディアセンターで勤務されている廣田氏。世界中のメディア機関が同じビルに入り、アメリカの生の現場を取材しています。インターネットでかなりの情報を得ることができる現在。それでも現場に来るのは、来ないと聞けない生の声があるから。核実験、同時テロにまつわる現場の生の声。新聞記事を取材した方のお名前を出しながら紹介する廣田氏に真摯な姿勢を感じました。

 

進路選択では、環境問題を学びたいと横浜国立大学へ進学するも、思っていたものは学べないとわかり、他大学を受け直そうとしたり、中退し就職することを考えたりと紆余曲折(回り道)を経て、科学雑誌ニュートンへ就職。その後、北海道新聞社に入社し、北海道へ。

北海道新聞を受けるにあたり、意識したのは、北海道をよりよくすること。今でも取材したり記事を書いたりするうえで判断基準になっているそうです。

グローバルな情報はグローバルな話だけでは終わらず、わたしたちの生活、仕事に直結しているということを、新聞記事から具体的に伝えてくれました。

メディアが一つのニュースにまつわる現場の人々の声を伝える大切さ。なぜ正確な情報を知ることが大事なのか。知ることは力を与える、判断する手助けになる、自由でいさせる…戦争、政治、環境、さまざまな問題がある中、アメリカでの取材で改めて感じているとのことでした。

廣田氏は仕事には二つの側面があるといいます。「自分は成長しているか、世の中のためになっているか」

それを実現するために、「いろいろな経験を積み、多くの仲間とつきあい、変化を楽しんで」とのこと。

 仕事や進路選択のみならず、メディアについて、報道について、とても深い内容でした。 

後半は川島氏。

テーマは「『雇われない生き方』~デザインの仕事とデザイン思考~」。

 

話は「転落のはじまり」という不穏な序章からスタートしました。

「南高に入って甲子園に行く」という夢が入学後わずか2か月であっけなく潰えてしまったこと。怪我の後遺症に苦しみながらも、野球がなくても何か他のものに熱くなれればいいやと、根拠のない自信をもっていたこと。そして大学受験の失敗、大学に行かないことを選択。小中学校で自然と溜まっていた「自信の貯金」を食いつぶしながら過ごしていたフリーター時代。いろいろなアルバイトを経験し、だんだん人と会うことも億劫になり、ニートとなっても何かが起こるのをただ待っていたこの時期が一番苦しかったそうです。

しかし「きっかけは待つものではなく自分で作るもの」と気づいて動き出します。レゴジャパンに手紙を送る話は、まさに自分で作り出したきっかけによって、自信を取り戻すことになった契機、と言えるでしょう。

そして、専門学校へ。入学する際に「この学校をきっかけにデザイナーになる」と決意して、有言実行。通った期間は半年ほどで、卒業後フリーランスとしてすぐに活躍。「デザインの仕事は自由研究」と話す川島氏。小学校時代、自由研究が大好きだったそうで、今の仕事は天職ですね。

フリーランスという働き方は、全てが自由、すべてが自己責任。向いている人は、責任感が強く、誘惑に負けない、自己管理できる人、自由をこよなく愛する人だそうです。

川島氏はこれからなりたいものとして、星景写真家、ネイチャーガイドをあげていました。そちらについても動き出しているそうです。まるでサクセスストーリーのドラマを見ているような、とてもワクワクするお話でした。 

 

~南高生に伝えたいこと~

 

「人生は一本道ではない。回り道が役に立つ。変化を楽しんで。いつか皆さんに光を当てた記事を書けることを楽しみにしています。」(廣田氏)

「進路は一つではない。10代、20代は思っているよりもずっと若く、もろいもの。だから一人で抱えないでまわりを頼っていい。仮に道を外れることがあっても、人生は切り開ける。」(川島氏)

 

修了後の質疑応答では、現地時間午前3時の廣田氏と直接やり取りする場面や、デザイナーへの鋭い質問など今回も南高生の真剣さが伝わってきました。アンケートにはもっと聞いていたかった!という声があるほど、充実した時間となりました。今回のゼミには来年度幹事期を迎える47期の方も見学に来られていました。高校生だけでなく、大人にも響く六華ゼミ。来年度以降も楽しみですね。

 今年度の六華ゼミも残すところあと2回となりました。次回は11月12日です。